四柱推命のご紹介

四柱推命の歴史


ヒトが文明を持ち始めたころから様々な形で今と未来を占うようになってきました。それは原始的な人間社会が形成されて徐々に知能も発達してきたからです、それが証拠に私は犬や猫が自分たちの未来について何かを占ってる姿を見たことがないからです。(笑)
さて、冗談はさておき、人間も原始的な占いをしていた頃は亀の甲羅を焼いてそのヒビの入り方で様々な事を占ってた時代もありました、そういう時代を経て人は文明を手にして文字を使えるようになり暦も作れるようになりました。
暦の原点発祥は定かではありませんが漢字を使った暦ができたのは紛れもなく中国です、そこで十干十二支を漢字に置き換えて現在の暦の原型ができたと推測されます。 そんな四柱推命が日本医やってきたのは仏教伝来の頃とも平安時代または室町幕府の時代とも言われてますがこれも諸説あって定かではありません。
四柱推命にも暗黒時代がありました、江戸時代になって徳川家康が徳川家以外から天下を取る命式の大名が現れてその存在が公にさせないために四柱推命を封印させて一般人には扱わせないようにしたという説も根強く残っています、確かに家康は自分よりも身分のず~っと下の百姓出の秀吉には最後まで頭が上がらなかったことを思えば「人の運気運勢の恐ろしさ」を痛感してたのは確かだと思うからです。江戸時代にはその代わりに様々な占いが普及しています。手相、人相、姓名判断、八卦易学がその代表例ですが、これらの共通点は文字を知らなくても習得できる占いであったことです。少なくとも四柱推命は十干十二支以外にも膨大な文字を知ってないと習得することは出来ませんが手相、人相、八卦易学などは文字が読み書きできなくても習得できたので武士以外の町人に普及したのは合点のゆくところです。
江戸時代の四柱推命はこのようにして暗黒時代を過ごしていましたがその間も京都の御所で陰陽師によって伝えられてきたと言われています。
        

四柱推命は日本にしかない?


四柱推命は「占いの帝王」と言われるほどに的中率も高くそれ故に歴史も古い占いです、しかし四柱推命という呼称は実は日本独自のものだったのです。
四柱推命の原書と言われてるのは中国から伝わった「淵海子平(へんかいしへい)」という占いでした。(中国では、「子平」「三命」「命学」「命理」「八字(パーツー)」などといわれています)江戸時代には四柱推命とは言わずに淵海子平という呼び名だったのです。
明治維新後に旧鍋島藩の小姓であられた松本義亮先生が淵海子平を研究されて「四柱推命」と命名され後に「四柱推命奥義秘伝禄」という本を大阪で出版され教室も開校されたのです。その後は多くの門弟たちの勤勉な性質と飽くなき努力のおかげで四柱推命は大いに発展してきたのは言うまでもありません、そのお陰で四柱推命の的中率は他の占術に追従を許さない抜群の高さを誇るようになりました。
四柱推命の研究者された人の中には淡路島出身の阿部泰山先生が居られます、現在の四柱推命の大半が阿部泰山流派の流れを受けています。
このように四柱推命という呼称は日本独自のものであって「中国式四柱推命」とか「香港・台湾式・・・」などはそもそもが存在しません。


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